作　やーすけ・梅太郎
ハードボイルドソーセージ小説　筑豊残侠伝【ちろりん村人間模様】　ハナキ君とドスコイしのちゃんの章”１”

一陣の冷たい空気が店内に吹き込んだ。　ドアが開いて誰かが入ってきた気がした。　ドアが揺れている。　――風のいたずらか…　と、視線を戻すと、ちょうど一人の男がカウンターの椅子に座るところだった。　いつの間にそこに来たのか、誰も気づかないほど静かな男だった。　私はふと「風の又三郎」を思い浮かべた。　「コーヒーください」　想像通りの柔らかな高音域の声で、男は注文する。　コーヒーが出てくる間、男は店内の小物を手に取ってみている。　その目の動きは、この男がただ者でないことを感じさせる。　コーヒーを出した。　男はゆっくりとした手付きでカップを持ち上げ、「小石原ですね」と言うと、私の返事を待たずにひと口、コーヒーをすすった。　男の言った通り、当時のちろりん村は、小石原焼のコーヒーカップを使っていた。　――いったい何者なんだ…。　それがその時、そこにいた者達の感想だった。　　つづく　　　　　

その男にはダッフルコートが、やけにしっくりきた。　相当に着こなしているコートのようだ。　コーヒーを飲む間も、几帳面に前を止めたダッフルコートを、脱ぐどころか、くつろげる様子もない。　職業柄か私は、それとなく男の特徴を見た。　さらさらの長髪を、中途半端な長さまで伸ばした坊ちゃん顔……。　ダッフルコートの上からも分かるほどの細い体と、見事ななで肩……。　決して大きいとはいえない、埴輪のような目が、この男の人の良さをうかがわせる。　「ぼく、陶芸をやってるんです」　周囲の気配を察したのか、男は自己紹介を始めた。　「ぼく、Ｋ大工学部に通ってるんです。クラブで茶道もやってるんです」　恐ろしいほど面白くない話を、抑揚のない口調で話す。　やがて出身地の話のなったとき、がぜん私の興味を刺激した。　瀬戸内海の島出身だという。　　つづく　　　

瀬戸内海の島々には、歴史の断片がごろごろしている。　源氏と平家の決戦は瀬戸内海で繰り広げられ、最後は壇ノ浦で平家が破れたことや、信長率いる九鬼水軍と、毛利水軍の戦いなどは有名な話だ。　これらの水軍は今の海軍とは違って、雇われの海の武士団で形づくられている。　海の武士といっても、あるときは海賊に、またあるときは貿易商に、そしてまたあるときは海運商になったりする。　その中でも有名なのは松浦党で、倭寇の代名詞にもなっているが、れっきとした平戸藩主なのだ。　それと同じくらい有名なのが村上水軍で、瀬戸内海に展開していた。　瀬戸内海で繰り広げられてきた歴史的な海戦は、彼らの力なしでは始まらなかっただろう。　私は彼の出身地を聞いたとき、思わずワクワクした。　村上水軍を思い出し『もしかして…』　と直感したからだ。　　つづく

「もしかして…む、むらかみ？」　私の期待度は最高潮に達した。　そんな気持ちも知らず男は『なんでそんなこと聞きますノン？』と言いたげな、とぼけ顔をした。　「ハナキ言います」　そのあっさりした言い草に、ビックウェーブのてっぺんから、逆落としされたような感覚がした。　――勝手に期待していた、おのれが悪い…　そう自分を責めた。　「アッそ」　昭和天皇の口振りを真似することで、こけた気分を少しでも奮い立たせようとする。　――考えてみればこんな細い体でなで肩の男が、海賊の子孫であるはずがない…　私は自虐的な気分も手伝って、自分なりの結論を出した。　そのとき『そう言えば』といったふうに男が言った。　「ボクのお爺ちゃんは村上いいます」　「えっ！」　「お婆ちゃんがハナキで、その名前を継ぐのに……、となって、お父さんが……、ということでボクはハナキいいます」　男は複雑な（あとで整理すると単純だったが、そう聞こえるほど、話が面白くなかった）家系を説明してくれた。　――やっぱり村上水軍の末裔！……　そうか！　やはりそうであったか！…　その驚きと歴史を発見した嬉しさで、私の気持ちは、先程転げ落ちたビックウェーブのてっぺんへと、再び駆け登っていくのであった。　　つづく　　　　　

人間の感覚とはおかしなもので、それまできゃしゃに見えていた男の体が、村上水軍の末裔と分かった途端、しなやかで柔軟そうな体に見えてきた。　考えてみれば揺れる船の上で、敏捷に動くためには大兵は不向きだ。　軽い体としなやかな動きがなければ、海上での戦いで自在に船を操作することは出来ない。　さらには太刀を振り回すとなれば尚更だ。　八艘飛びで有名な源義経を例にあげれば分かりやすい。　残された義経の絵を見ると、小柄ななで肩、体も細くしなやかそうだ。　そういえば男の顔も、その義経の風貌に似ている。　つまりは男の体型は水軍として洗練された、優性遺伝の結果であるのだろう。　　つづく　

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