作　やーすけ・梅太郎
ハードボイルドソーセージ小説　筑豊残侠伝【ちろりん村人間模様】　もんじろうの章〈魚釣り編〉”３”

ポイント近くでは数艘のボートが糸を垂れ、やはりキスを狙って竿を上下に動かして、食いを誘っている。　船長ははやる気持ちを抑え、静かに竿を入れた。　しかし、わずかにポイントを外れているのだろうか、思うようにアタリがこない。　キスは砂地の山陰などに潜み、波の動きや潮流の乗って移動する虫を狙っている。　食いが立っていると、沈んでくる虫を争って吸い込むのだが、そうでない場合、目の前に餌があっても見向きもしない。　しかし、他のボートでは結構上げているのだから、食いが全く立っていないと言うわけではないようだ。　負けん気の強い船長にとってこの状態は、我慢ならないことだった。　（仕掛けの問題か……）　常に頭を回転させている船長は、ジッと海面を見つめながら、キスの気持ちになって思考を巡らせていた。　　つづく　

あれこれ試行錯誤の甲斐あってか、徐々に食いつきが良くなり、入れ食い状態になってきた。　ようやく自信に満ちた顔で周りのボートを見ると、どうしたことか、どのボートの釣り人も早々と納竿して岸をめざしている。　「馬鹿バイ。これから入れ食いするっちゅうとに」　「ほんとやが、あれだちゃ素人バイ」　その言葉通り、入れ食いは続き、クーラーは満杯の文字どおり大漁になった。　「ようし、これぐらいでよかろう」　そう言いながら外海に目をやると、重く垂れ込めた黒雲と磨りガラス状に見えるスコールが、ドンドン近寄ってきていた。　一陣の突風が吹きつけた。　風は陸から沖へと吹き、さらには引き潮が重なった。　惨劇の幕開けだった。　　つづく　

「いかん！　帰るぞ」　オール係の子分に命じ、船長は錨を上げた。　陸を見た。　周りいたボートが、浜辺に引き上げられている。　「急げ、雨に追いつかれるぞ」　と言った先から、ドッと強い雨が襲いかかった。　「はよ漕がんかぁ」　「全然進まん。逆に沖に持っていかれよるバイ」　「ああん？　流されよる？　外海に流されたら遭難するぞ。オールを一本づつ持て！」　『オイサ』　『オイサ』　とかけ声を合わせ、２人かがりでオールを懸命に動かすが、いっこうに進んでいるように感じられない。　船長はボートの板を剥ぎ、その板をオール代わりにして漕ぎだした。　それを嘲笑うかのように雨に強風が加わり、波がうねりだした。　こんな小さなボートで波に揉まれたら、転覆のおそれさえでてくる。　「ちくしょう、教えてくれりゃよかろうもんに。自分たちだけ、サッサと引き上げてからぁ」　悲鳴のような泣き言も、風に飛ばされ、雨に掻き消されて虚しいばかりであった。　　つづく　

懸命にオールを動かすが、漕いでも漕いでも山陰が遠くなっていく。　そのとき、波がボートを持ち上げた。　オールが空をきった。　「わあー！」　勢い余ったオールは留め金から外れ、海中に落ちた。　「オールが……！」　波に見え隠れしながら、みるみる流されていった。　「ばかたれ！　板を剥いで、それで漕げ」　３人は死に物狂いで漕ぎ続けた。　船長の脳裏に『漂流』の文字が浮かんでは消え、消えては浮かびする。　（駄目バイ。もう駄目バイ）　外海まで、もうわずかという所まで流されたとき、汗と雨と飛沫で濡れた顔を、さらに涙が濡らそうとした。　そのときだった。　雨のカーテンを押し分けて、いきなりイカ釣り漁船が顕れた。　「船バイ！　船」　全員が板切れを振り上げ、声の限り叫んだ。　「止まれぇ！　オーイ　止まってくれぇ」　一度、行き過ぎた漁船が反転して、ゆっくりと傍まで近寄ってきた。　船が立てる波で、ボートがひっくり返りそうになる。　「どげしたなぁ」　「すみませーん。ボート引っ張ってくれんですか？　流されたとです」　「ああ、よかよ。このロープ、ボートに結びない」　投げてよこされたロープを、船長はボートに結びつけた。　「よかな？」　漁師が窓から顔を出して言う。　船長は答えの代わりに手を挙げ、合図した。　漁船のエンジン音が高くなる。　３人はグッタリと座り込んだ。　（助かった）……　と、思うのはまだ早かった。　　つづく　　　　

３人乗りのボート──、文字通り３人乗れば一杯になるような代物だ。　それに比べるとイカ釣り漁船は、沖合まで出漁し、一晩中漁をしても安全な大きさだ。　そのスクリューが起こす渦も相当なものだし、ゆっくり進んでもそのスピードは、手漕ぎのボートの比ではない。　ボートはその能力以上のスピードを強いられ、大波の上を跳ね、あるいは波をザンブリと頭からかぶり、せっかく釣ったキス入りのクーラーや釣り道具を撒き散らしながら、津屋崎ではなく隣の港、福間を目指して突き進んでいった。　その姿はまるで両手を縛られ、馬で引きずられる、囚われのインディアンのリンチシーンのようだった。　ボートにしがみつきながらも、「おい、水を掻き出せ。沈没するぞ」と船長が指令を出す。　３人はエサ箱を手に、掻き出しても掻き出しても、容赦なく襲いかかる海水と格闘したのだった。　ようやく漁船が止まったとき、もう何もする気力も体力も残っていなかった。　「着いたバイ。ここでよかやろ」　と軽く言う漁師に、「津屋崎がよかった」とは、さすがの船長も言えず、お礼を言って丁寧にロープを外した。　しばらく休んだ後、ボートを津屋崎まで、波打ち際をトボトボと引っ張る。　その姿を知らない人が見たら、ボート遊びをしている３人のオヤジと思ったに違いない。　まさかこの３人がちょっと前、アクション映画ばりの死闘を繰り広げていたとは、どんな夢想家でも思いもよらなことだろう。　　つづく

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