作　やーすけ・梅太郎
ハードボイルドソーセージ小説　筑豊残侠伝【ちろりん村人間模様】　もんじろうの章〈魚釣り編〉”５”

アジやサバが先を争って食いつく様は、目玉の商品がバーゲンになった時、勢い余っていらない物まで買ってしまう現象に似ている。　食いが立ち始めると、興奮した魚はその群れを抜け駆けし、移動する先に垂らしている針に向かって、我先に飛びかかり、食いつく。　そうなると、誘うも誘わないもない。　糸を垂らせば、どんな下手くそが持つ竿にもアタリがくるのだ。　ぐずぐずしていたら、群れが通り過ぎてしまう。　そんなチャンスが仮死状態のもんじろうに巡ってきた。　私の隣のボートの竿がしなったかと思うと、すぐに私の仕掛けに４、５匹のアジが食いついてきた。　私は仰向けに寝ている、もんじろうに向かって怒鳴った。「おい、そのまま竿を出せ。仕掛けを海に落とせ」　「……ﾊｲ」と消えるような声で返事をしたもんじろうは、起きあがることもなくポチャンと仕掛けを落とした。　今日もんじろうの仕掛けが、初めて海に入った記念すべき瞬間だった。　　つづく　　

竿を震わせながら道糸が出て行く。　サビキの針とオモリが付いただけの、言ってみればルアーのような仕掛けが海底目指して沈んでいく。　魚群は果たして、こんないい加減なもんじろうの仕掛けに食らい付いてくれるのだろうか……　竿の震えが止まり、仕掛けが海底に達したことを教えた。　「おい、もんじろう。リールをロックして１メーター巻け」　寝転がったままモタモタ動かす、もんじろうの手首が見える。　巻き終わるとボートの縁に竿を置いた。　「こら、竿を上下してみい」　かったるそうな動きで竿を、２、３度上下させたもんじろうが、いきなり「ワーッ」っと悲鳴を上げて跳ね起きた。　「きたぁ！　きたぁ！」もんじろうの叫び声が辺りに響く。　見ると、竿が半月の弧を描き、先端を海に突っ込もうとしていた。　　つづく

（脳内アドレナリンが両耳から吹き出している──）そう思えるほど興奮したもんじろうは、もの凄い勢いでリールを巻き上げている。　瞳孔が開閉を繰り返しているような異常な目つきで、海面を走り回る道糸を追い、口は耳まで裂けるくらい笑っていた。　もし長い舌があったら顎の下までダラリと垂らし、ヨダレを滴らせていることだろう。　まるでトムとジェリーのトムさんが、ジェリーをようやく捕まえたときに見せる、あの表情を彷彿とさせた。　ほんのさっきまで、死に体だった人間とは思えない。　（いや待てよ……、もしかしたら死んだふりをして、魚の油断を誘ったのではないだろうか）　そうでないと、この尋常ではない張り切り様は、説明が付かない。　懸命に道糸を巻き上げるもんじろうの姿──　それは──　そう、捕らえた獲物の息の根を全力で止めるピューマのようだった。　　つづく　

しかし、もんじろうの癖はこんな所にも出た。　緊張が最後まで持続しない癖だ。　背中を競艇選手の如く丸め、もの凄い形相で巻き上げていたもんじろうは、海中から獲物が姿を見せた途端、ガスが尻から抜けたように弛緩した。　「ワ〜！　スゲ〜！　いっぱい掛かっちょる。ほら〜」と、暴れ、もがく、５匹のアジをブラブラぶら下げている。　「なんしよるんか！　早よ取り込まんか」　釣りにはバラシという、途中に逃がしてしまうことがたまに起こる。　中でも一度つり上げた獲物を、海に落とすことが一番最悪のバラシだ。　針掛かりが浅い魚や、アジのように口切れしやすい魚は、海から上げた重みで落ちてしまうことが多いのだ。　つまり、魚を釣るという過程で、一番注意しなければならないのが、この抜き上げた瞬間なのだ。　海中から抜き上げたら、とにかく船上に投げ上げること、それがバラシをなくす秘訣なのである。　ついでに言えば、針掛かりした魚を、あまり勢いよく巻き上げると、やはりバラシが多くなるし、第一、せっかく集まった群れを驚かして、散らしてしまうことになる。　こうしたことから考えてもらえれば、もんじろうの釣り方が、どういう質のものであるかが、お解りいただけると思う。　　つづく　　

一度に５匹を揚げたもんじろうは、さっきと同じ要領で仕掛けを下ろした。　しかし心配した通り、アジの群れを散らしてしまったらしく、反応が全くない。　もしかしたらタナ取りが悪いのかもしれない。　タナとは狙った魚が泳いでいる層を指していう。　糸を送り出すカウンターを見ながらタナ取りをするのだが、１メートルの誤差でも食わなかったりする。　タナ取りは微妙な作業なのだ。　もんじろうのように一度マグレで釣れると、釣りを簡単なものだと考えてしまう。　そしてアタリのない時間がとても退屈で苦痛な時間に感じられ、それが過ぎると他のことをしながら遊んだり、寝てしまったりする。　１０分間、竿を上げ下げしていたもんじろうも、退屈な時間と船酔いに耐えきれず、仕掛けを垂らしたままボートに倒れ込んだ。　死んだ真似作戦が、もう一度通じるとは思えないのだが……　　つづく

『果報は寝て待て』『３年寝太郎』を地で行くもんじろうは、以前にもこの手でバイト代を稼いだことがある。　今、福岡市でケヤキ購入ルートが問題になっている、あの人工島の造成工事が着工されて、間もない頃の話だ。　人工島の工事は船で渡って行われていた。　朝早く船で渡り、夕方再び船で帰ってくる。　一度、島に渡ると途中で帰ることができない。　季節は真夏──、作業員は皆、かなりの水を持って島へ渡る。　島には何の施設もない。　日陰を作るような建物さえないのだ。　普通の体力を持った男でさえ、相当にきつい労働環境だ。　体力に自信があるとは思えないもんじろうに、とても勤まる仕事ではない。　案の定、作業開始から３時間もしたら、熱射病の症状が出て立っていられなくなった。　「兄ちゃん、大丈夫な？　もうよかき、端っこで寝ちょきない」　「……ﾊｲ」　消えるように弱々しい返事を返したもんじろうは、優しい作業員の言葉に甘え、横になることにした。　　つづく　　　

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