アンアンやノンノンなどのファッション雑誌が創刊されたのもこの頃で、イデオロギー闘争一辺倒の時代は終わり、いわゆるサブカルチャーなるものが１９７０年を境に、一気に育ち始めたのである。　それから数年……。　「彼女が欲しいんたい」とアンドンが言い出した年は、ジョン・トラボルタ主演の「サタデー・ナイト・フィバー」が大当たりした年だった。　彼女が欲しいというアンドンに私は「やっぱ、踊りぐらいできんとモテんぜ」と提案し、トラボルタの腰つきと腕の上げ方を、４畳半の畳の部屋で特訓することになった。　肩をえぐり込むようにしながら、同じ方の足を前方に運ぶ。　一つの動作の中には２拍のリズムが織り込まれていたのだが、初めてのディスコダンスに挑戦するアンドンに、それを要求するのは酷というものだった。　鉄人２８号実写版のような動きを、懸命にリズムに乗せようとする姿は、とても世間様にお見せできる代物ではなかったのである。　　つづく　

アンドンは気づいていなかった。　仮にアンドンがサタデー・ナイト・フィーバーを習得したとしても、重大な難問が行く手を阻んでいる事を──。　それは大学近場にはディスコがないということだ。　飯塚市内にあるだた一つのディスコは「ダイヤモンド・ヘッド」という店名の、どちらかといえばゴーゴークラブの臭いが強いディスコだった。　旧炭都として栄えた飯塚の繁華街を、ゴージャスに彩ったダンスホールやカフェは、新しい時代の変化に付いていけず、モダンとされたジルバなどを踊るダンスホールは、場末の卓球場やビリヤード場などに変わっていた。　さらに大きな問題として、ＤＪがサタデー・ナイト・フィーバーをかけてくれるかということだ。　この頃のディスコは、今のパラパラの原型ともいえる、ソウルミュージックに合わせた手踊りが主流であったからだ。　　つづく　

冗談のつもりで始めたトラボルタ踊りも、アンドンオリジナルの踊りへと変化していく。　やがて完成したその踊りを私は、タコボルト踊りと命名した。　だがその頃の私には、タコボルト踊りを体得したアンドンを連れ、ダイアモンド・ヘッドへお披露目に行くという、己を捨てるほどの勇気は持ち合わせていなかった。　「よし、これで今年の大学祭のダンスパーティーはお前のもんたい」　とお茶を濁して、幕を引くことにした。　「なしカイ？　せっかく踊れるゴトなったんにぃ。　踊りに行かんのカイ」と澄んだ視線で私に迫る。　世間の目の厳しさを、彼はまだ知らない。　アンドン二十歳、童貞の夏のことだった。　　つづく　

あの時、どうして私はバスを使っていたのだろう。　十八歳で免許を取り、二十歳になって車を手に入れてからは、ずっと車だった。　免停にでもなっていたのだろうか。　自宅から１キロばかり離れた所にある停留所でバスを降りて、夕暮れの道を歩いていた時のことだった。　一人の女性が声をかけてきた。　振り返ると一緒のバスに乗っていた人だった。　私より少し年上に感じる女性だ。　髪は深い赤毛に染め、カールの掛かったショートヘアが社会人らしさを表していた。　鼻筋が通り、目鼻立ちがハッキリしている美形であった。　「ねえ、時間分かる？」　なれなれしい話し方に擦れたものを感じ、（なめられたらいかん）という対抗意識が働いた。　「さあ、俺、時計もたん主義なっちゃ。わからんねえ」　精一杯、硬派を意識して、ぞんざいに答えると、意外にも彼女は足を速め「そう、６時までに帰り着かんといかんのやけどなあ」と私の横に並んで歩き出したのだ。　　つづく

「ねえ、学生さん？」　まるで伊豆の踊子のようなせりふを彼女が言った。　眼前に広がる田圃には稲が色づき始め、まだ炭坑の名残を残す長屋が、それを囲むように点在していていた。　早秋の夕日はボタ山の上まで落ち、アンバー色に風景を染め上げてる。　「うん、建築学科。　カノジョは？　社会人？」　「うん、もう少し歩いたところにある、小さな美容室で働きよるとよ」　「へー、美容師かぁ……、なんかかっこいいね」　「まだ、駆け出しやけどね」　照れた様な仕草が見掛けとのギャップを生んで、瞬間、形容使用のない色気を感じさせた。　彼女が言った美容室が見えてきた。　新興住宅地の一戸建て家屋の一部を店にした、本当に小さな美容室が、申し訳程度の看板を出している。　近所の人達相手の美容室なのだろう。　「ここ──」　店の前まで来ると立ち止まり、ドアを指さした。　「お昼とか暇やから、遊びに来ていいよ」　無防備な笑い顔でそう言うと、ドアに手を掛け、私の返事を待った。　今の私だったらこんなオイシイ話は独り占めにすると思うが、この時は、ふとアンドンの顔が浮かんだ。　「うん、今度、友達と遊びに来るよ」　それを訊いた彼女は『楽しみ』といった表情で微笑み、片方の手を小さく振って店の中へ入っていった。　　つづく