アンドンが吠える──　頬をわずかに痙攣させ、赤から青に顔色を変色させながら、なおも吠える──　　鉄人２８号を彷彿とさせるほどに、力の入った肩──　思いついた言葉を喉に突っかけては、咳き込む勢いでその言葉を吐き出す。　力の籠もった口元は、ラッパのごとき形状をしていた。　熱き思いの籠もった言葉は、霧状の唾と共に、その突端から吹き出していた。　アンドンはこの時、自分が何を言っていたのか記憶にないだろう。　何かに取り憑かれたとしか思えないほど、意味不明な言葉が飛び出してくる。　私はふと思った。　これではシャーマンがトランス状態で話すのと、何ら変わりないではないか、と……　男から「話にならん！」と必殺の一撃を食らわせられたら──、そしてそのまま男が去ってしまったら──、アンドンは独り、虚空に向かって意味不明の言葉を喋り続けるのだろうか──　　つづく　　

ドラマはこの時、起きた。　堅かった男の表情が急に軟らかくなり、口元の笑みが浮かんだ。　可笑しくて笑っているのではなかった。　男の表情はアンドンの情熱に打たれ、感動した表情であった。　男は１歩、２歩、歩を進め、ゆっくりと腕をアンドンの肩へ伸ばし、掌をそこに置いた。　そして２度、ポンポンと叩くと、囁くような声で言った。　「わかった、わかった。　俺とマユミとは、今日からなんでもない関係たい。　マユミのこと、よろしく頼む」　それだけ言うと男は、呆然と佇むアンドンを残し、再び彼の戦場へと帰っていった。　私は男同士の美学の世界を見た。　アンドンのなりふり構わない、女への思いを吐露する姿──　それに答えた男の見事な身の引き方──　私は『傷だらけの天使』の一場面を見ているような錯覚に、わずかな目眩を感じていた。　（みっともなさがカッコ良かったぞ、アンドン）　アンドンは尚、その場に立ち尽くしている。　どこからかチャイムの音が、風に飛ばされてきた。　晩夏の日差しはいつの間にか、アンドンの影をアスファルトに長く刻んでいった。　　つづく　　　　

果たして二人の勝敗は、どちらに分があったのだろうか。　主導権は確かにアンドンが握っていた。　結果に於いてもアンドンの思い通りになった。　だが何かが引っ掛かるのだ。　はっきり言って、絵的には男の方が主役に見えた。　（あの男、絵を描いていたな）　私はそう確信した。　ドラマのあらすじを、男側から書くと、こうだ。　『男は将来を誓った女がいた。　二人は理髪店を持つために、別々の街で修行に励んだ。　だが依頼心の強い女は、離ればなれでいることに、堪らない寂しさを感じていた。　男にも女の気持ちが痛いほど理解できている。　「すまない……」　口には出さねど男は心の中で、いつも詫びていたのだ。　そんなある日、一人の男から電話が入った。　「ちょっと、出てきてくれんかい」　もともと勘の鋭い男は、この瞬間、女の心変わりを悟った。　電話の男は合うと、いきなり「アンタが彼氏かい」と凄んだ。　男は答えることができなかった。　自分は本当に彼氏と言えるのだろうか──　女に安らぎを与えてきたのだろうかと、自問したからだ。　突如、電話の男が、滔々と自分の女への思いを語り出した。　男は思った。　（この男なら、女を泣かせるようなことはすまい）と。　男は綺麗に身を引く決意を固め、「後は頼む」とだけ言い残し、孤独な仕事場へと帰って行く。　女の幸せを願いながら──　終わり』　哀愁漂う後ろ姿を思い出すと、男がそんなふうに自分を置いていたと思えてならない。　　つづく　　

翌日、私が男に直感した疑惑は、さらに確信へと深まっていく。　アンドンは事態の展開をマユミに説明した。　どのようなニュアンスで訊かせたのかは、想像が付く。　だがこの時マユミには、すでに男からの状況説明がもたらされていた。　男がどのような話をしたのか、知ることができない。　だが、その一部分がマユミの口からアンドンに伝わった。　男がアンドンのことを「イイ奴やないか」と褒め、付き合うことを勧めたという。　それを訊いたアンドンは、すっかり気をよくし、エールの交換よろしく、私の前で男を褒め称えたのだ。　（本当に人のイイ奴）と半分呆れた。　アンドンの喜びに水を差すわけではないが、マユミの言葉をそのまま受け取る脳天気さは、私にはない。　未練タラタラのマユミが男とどのような話をしたのか、何故、男がそのような言葉を吐いたのか、考えられるのはひとつだ。　　つづく