作　やーすけ・梅太郎
ハードボイルドソーセージ小説　筑豊残侠伝【ちろりん村人間模様】　Ｔプリの章”４”

Tプリが列んだ時には便所は空っぽになるところだった。　Ｔプリが最後ということになる。　列の前に列んでいる３人は、喫煙習慣とは無縁そうな顔をして楽しげに大声で話しているが、緊張しているのがわかる。　それはちょうど、やましいことがないのにパトカーを見掛けると、善良な市民の表情を見せようとして、口許に微笑みを浮かべてしまう心理に似ている。　「何かあったんですか？　ご苦労様です」　などとわざわざ声を掛け、悪いことをしていないところをアピールして、意味もなく気分良くなったりする「寄らば大樹の陰」的な心理だ。　「煙草を吸うと手が臭くなるとやろね」　「手の臭いを嗅いだだけで判るくらい臭くなるとやろうね」　と会話しながらこの３人は『僕たちとは無縁の世界なんです』ということをアピールしているのだ。　姑息な奴らだ──　Ｔプリにやり場のない闘争心が湧く。　　つづく　　

Ｔプリはさっき仕込んだ指を、ジャージの中に突っ込んだ。　『たかだか予備校の寮長のくせに、権力者づらして検閲なんかしやがって──　その権力者に媚びる奴にも腹が立つ』　言い知れぬ怒りにまかせて、ウンコが通過したばかりの肛門に指を差し込み、丁寧に仕込み直した。　眉毛が半分しかない、狡猾そうな三白眼の寮長が、「おまえで最後か、もうおらんとか」と最後のオモチャを弄ぶように言った。　「さあ」　Ｔプリが無愛想に答えると、この権力者はその態度が気に障ったのか、「横着なやっちゃのう、おまえげなんとが便所で煙草を吸うとたい」　と下から睨み上げた。　町のチンピラが人を脅すときにする、威嚇の仕方と同じだった。　　つづく　

Ｔプリはその視線を無視するように、廊下を見ていた。　無人の廊下は蛍光灯の白い光で照らされ、冷たい反射光を放っていた。　寮長はＴプリがビビって視線を外していると思っているらしい。　睨み上げる姿勢を崩そうとしない。　いきなり寮長が「カカハハ」と乾いた咳をした。　逆三角形の顔についた口が裂けるように開き、黄色い乱杭歯がむき出しになった。　咳と思ったのは笑い声で、この顔はどうやら笑っている顔らしい。　どこまでも貧相な顔だ。　「さて、手を出してもらおうかの。心配せんでんよか。おまえが退寮したっちゃ、泣くもんやら一人もおらせん。カカハハハ」　クラしちゃろうかね！こん男──　Ｔプリは危うく爆発しそうな怒りを辛うじて堪えた。　　つづく　　　　　

最初にＴプリは、煙草をさわっていない左手を差し出した。　この権力者が如何にも喜ぶよう、恐る恐るといった風に……。　権力者は焦れたように「どう、はよ出さんか」とＴプリの手を掴み、鼻まで持ってきて臭いを嗅いだ。　手が裏返しになっていたので、なんだか、手の甲にキスをしているような形になった。　「表にせんか！」　そう言って乱暴に指先を握り、ひっくり返した。　煙草の臭いが検出されなかったのが悔しかったらしく「チッ、そっち」舌打ちした後、顎でＴプリの右手を差した。　　つづく　　

Ｔプリがゆっくりと右手を持ち上げる。　それがＴプリの誘いとも知らず、寮長がその手をひったくるように掴み「俺のカンよう当たるとたい。おまえは煙草を吸いよるやろ。吸うてんよかとぞ、退寮した後にな」と言って笑った。　Ｔプリは心の中で語りかけた。　『おまえが言う通り、たいしたカンたい。　ばってんが煙草の臭いを嗅ぎ分けられるかの。嗅ぎ分けられたら、そんときゃ褒めちゃるたい』　寮長がたっぷりとウンコ臭が仕込まれた指を、嬉しそうに鼻先に持っていき、勢いよく吸い込んだ。　次の瞬間、「ウッ」と、まるでストレートパンチをもらったボクサーのように、寮長が頭を後ろにのけぞらせた。　Ｔプリの指を鼻から引き離そうとしたのか、指を握る腕を上へ延ばした。　それはまるで勝者を告げるレフリーのような姿勢で、高々と突き上がったＴプリの指はＶサインを形作っていた。　　つづく

寮長は「やられた」と思ったのだろう、Ｔプリを睨み上げた。　だがそれは敗北を意味する。　直感でそれを悟ったのか、すぐに何事もなかったかのように、平然とした顔に戻った。　くだらない見栄を張る男だ。　「煙草の臭い、しましたか？」と、Ｔプリはもう一度、寮長の鼻の前に指を持っていこうとした。　その手をゆっくりと、そしてさりげなく払いながら「よーし、行ってよか」と大仰な言い回しをして、余裕をアピールする。　「もう行っていいんですか？」　「おう、よかぞ」　先に捕まった２人は驚きの表情で見ている。　Ｔプリは寮長の顔を覗き込むようにした。　寮長がひるむ。　大口を開けて、声を出さずにＴプリが笑った。　「クッ」　寮長の喉で言葉が詰まる。　それを尻目に、Ｔプリは便所を出て行った。　　つづく　　　

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