作　やーすけ・梅太郎
ハードボイルドソーセージ小説　筑豊残侠伝【ちろりん村人間模様】　もんじろうの章”７”

「竜頭蛇尾」という言葉が当てはまるかどうか、もんじろうを言い表すのに適当な言葉を探している。　とにかくする事なす事が尻すぼみで終わるのだ。　だがこの黒崎事件は尻切れトンボで終わった。　店に残ったこんちゃんが言うには、知り合いの人がその店の店員で、問題のコートを取り置きしておいてくれているという。　「だから、一人でも大丈夫ですよ。間違えるはずがないですよ」　こんちゃんの話を聞いて、『もっともだ』と納得するのは一般的な感覚だろう。　私も、そう思った。　問題になる要素が何もない以上、何も起きるはずがないではないか。　だが、この何も問題がないお買い物に、衝撃の結末が待っていた。　　つづく　　

もんじろうが勢い勇んで、店のドアから飛び出し、１時間が経った。　わずかの時間で、これほど表情が変わるのかというほどの落ち込みようで、もんじろうが帰ってきた。　「あれ？　めちゃくちゃ早くないか？」　「……」　「どうした？　コートは買えたか？」　「……」　私の問いに何も答えず彼は、カウンターの所で立ち尽くして、焦点の定まらない目を宙に泳がすだけだ。　「黒崎行ったんやろうもん」　ちょっと語気を強めて言うと、ようやく「はい」と小さな声で答える。　「コートはどうしたんか、売れてしもうちょったんか？」　カウンターの隅でこんちゃんが、心配そうな目で事の成り行きを見ている。　「黒崎駅まで行きました」　「なんかぁ〜？　どういう意味か」　「駅について、電車を降りて……」　「それから、どうしたんか」　「そのまま、帰ってきました」　「おまえ、言うとる意味がわからん。ちゃんと話さんか！」　「財布……」　「？」　「ス、ス、スられました」　「あ────ん！？」　　つづく

店を出てから新飯塚駅までの道のり──、電車に乗って黒崎までの車中──、もんじろうにとって晴れがましく、そして楽しかった時間だ。　トータルファッションをあれこれ考え、目的の物を捜して回るショッピングの楽しさも味わった。　あと一つアイテムが揃うと、完璧なファッションが仕上がるのだ。　もしかすると、もんじろうの人生において、物事を完璧に仕上げる始めてのケースだったかも知れない。　もんじろうは車中、楽しいシミュレーションを何度も繰り返したことだろう。　──黒崎駅で降り、歩道橋を渡り、アーケードを歩き、目指すショップの自動ドアを開ける──すでに顔なじみになった店員に「さっきのコート、買うことにしたよ」と軽い感じで言う。（ただ者じゃないと店員は思うはずだ）──飯塚に帰る──ちろりん村で見せびらかす──みんなが見直す──etc……　黒崎駅に着き、ホームへ降り立った所までは、もんじろうの思った通りだった。　２、３歩、歩いて財布で重いはずの尻ポケットが、異常に軽いことに気づいた時、背筋がスーっと冷たくなるのを感じた。　悪夢の始まりであった。　　つづく　　　

立ち止まったまま思考停止してしまったもんじろうにも、わずかに機能する大脳皮質があった。　（お金がなくなった。帰りはどうしよう……そうか、改札口を出なければいいのか）　という思考が瞬時に行われたのは幸いだった。　パニクって改札口を出てしまう可能性も、もんじろうの場合考えられるからだ。　帰りの車中、そして新飯塚駅からちろりん村までの道のりのことは、春霞の景色のようにおぼろげでもんじろうの記憶に残らず、ただただ悪夢のような現実に押しつぶされそうになっていたに違いない。　それは店に帰ってきた時の虚脱状態を見れば、容易に想像がつく。　財布を３分の１ほども飛び出させて、尻ポケットに差して人混みに入っていくなど、『さあ、どなたかお持ち帰り下さい』と差し出しているようなものだ。　そう怒鳴りたい気持ちを押さえ「いくら入ってたんか？」と聞く私の質問にも、答えることができない状態のもんじろうは、「帰る……」とひと言呟くと、ドアを開け、白昼夢の世界へ漂い出ていった。　　つづく

「５、６万は入ってたと思いますよ……」　声を潜めて、こんちゃんが言った。　「ほんと……」　私も声を潜めて答えた。　こういう気の毒な事態が目の前で起きると、人はなぜだか声を潜めるものらしい。　私はスリにあった人間を、実際に見るのは始めての経験だった。　世の中にはたかられたり、普通に歩いていて因縁つけられ殴られたり、あるいはスリにあったりしやすい人がいる。　もんじろうがこの黒崎スリ事件を皮切りに、そのすべてを経験していくことになるのだが、この時点で本人はもちろん、誰一人として想像だにしなかった。　そして問題のコートだが、数日後、こんちゃんが買って、黒崎スリ事件のすべては終わった。　　つづく

成人式が終わった後も、意味もなくもんじろうはスーツを着てくる。　大人になった実感を噛みしめているのだろうか……。　そんな時だった。　Sイカちゃんというダイナマイトバディーを持った大人の女性が、ちろりん村に通い始めた。　フレンドリーな彼女は、たちまちのうちに常連客と溶け込んでいった。　それは彼女の面倒見の良さと、ちょっとマヌケなところが好かれたのだ。　逸話がある。　その日、前日に知ったミュージシャンのすばらしさを自慢しようと、勇んでやって来た。　「ねえ、ねえ、あの渋いミュージシャン知っとう？　ほら、プ、プ、プ……」　「？」　「ほら！　もう！　プー！　プ、なんかやったかね」　店に入るなりプープー言いながら、思い出せない自分を棚に上げて、私に怒りをぶっつけてくる。　Sイカちゃんが一体何を思い出そうとしているのか、皆目見当がつかない。　そんな私の表情を見て、さらに怒りを爆発させる。　「もう！　プーよ、プー、なんでわからんとぉー」　　つづく　

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