作　やーすけ・梅太郎
ハードボイルドソーセージ小説　筑豊残侠伝【ちろりん村人間模様】　もんじろうの章”９”

空の缶ビールがこたつの上に林立する頃、Ｓイカちゃんは一人、ベッドで可愛い寝息を立てていた。　プチ奴隷達はそのベッドの下で、近衛兵のごとく取り巻き、雑魚寝している。　その中でひときわ高く、大イビキをかいている者がいた。　もんじろうだ。　酒を飲んだ時に見せる、その寝付きの早さは信じがたいほどだ。　始めて見る人は、気絶したと思うだろう。　私はもんじろうとサシで飲んでいて、その瞬間を目撃した。　その時の話題が何だったか定かではないが「あの意味はどういう事なんですか？」という質問をもんじろうがした時、「あれはやなあ……」と切り返し、質問に答えようとしてもんじろうを見ると、その姿勢のままイビキをかいて眠っているのだ。　イビキをかくまで２秒！　３０秒ほどで目を醒ましたが、かなり驚いた。　少し後のことだが、こういう事もあった。　バーベキューをしながら花見をした時のことだった。　参加人数が多いので、小さなバーベキューセットでは間に合わない。　ドラム缶を横割りにした巨大コンロを用意し、大量の炭で、豪快に肉を焼くことにした。　　つづく

実はこの花見の翌日には、もんじろうは秘密裏に旅立つ予定だった。　どこへ旅立つのかというと島根の半導体組み立て工場で、そこに住み込んで季節工として働こうというのだ。　親には内緒のいわゆる出奔……、家出……、独り立ちだ。　「あのですね、明日、島根に行くから花見は参加できんです」　「そうか、わかった。がんばれよ」　短い会話を交わすと、もんじろうは背中を向けた。　バーベキューの用意に忙しい私は、見送ることはしなかった。　このまま静かに去っていけば、その後ろ姿は木枯らし紋次郎とダブって見えたに違いない。　しかし、そうはならなかった。　歓声を上げながら、楽しそうにバーベキューの用意をしている女の子達の様子に、急に寂しさが込み上げてきたのか、またすぐに戻ってくると、言った。　「あ、あの、ちょっと顔だけ出していいすか？　すぐ帰りますから会費は払わんでもいいでしょう？」　顔の大きさに比べ、かなり小振りで古風な黒縁メガネをズリ上げつつ、願い出てきたのだった。　　つづく　　　　　　　

満開の桜が並ぶ、夜の勝盛公園は冷え込んだ。　その寒空の下で、裸になって盛り上がる男がいる。　もんじろうだった。　会費を払わずにここまで盛り上がる厚かましさは、尋常ではない。　花見を自分の壮行会に変えてしまった。　やがて、もんじろうがエネルギーを燃やし尽くした頃、そろそろお開きにしようとバーベキューのコンロをひっくり返して、火を落とした。　まだ赤い火を上げている炭の廻りを手を繋いでぐるりと囲み、全員で歌いながら、キャンプファイヤー気分を味わっていたときだった。　「キャー！」とＳイカちゃんが悲鳴をあげた。　瞬間、火の粉を舞い上げて、もんじろうが炭の中に倒れ込んだ。　それも硬直した姿勢のまま──。　エネルギーが底をついたマジンガーＺが棒立ちのまま倒れるように、もんじろうの巨大な顔が燃える炭の中に突っ込んでいく。　山伏の修行に『火渡り』という、焼けた炭の上を裸足で歩くものがあるが、顔を押しつけた者はあまりいないのではなかろうか。　だが、もんじろうは修行のつもりで顔を突っ込んだのではない。　立ったまま、深い眠りに落ちたのだ。　幸い超人的なその面の皮の厚さで、やけど一つ負うことはなかったが、メガネのツルは折れた。　　つづく　　　　　

もんじろうの常人離れした寝付きの早さについてのエピソードはこれくらいにして、Ｓイカちゃんの部屋での話に戻る。　もんじろうの特徴として寝付きの早さと、もう一つ、大イビキがある。　とにかくうるさい。　店の中で居眠りなどされた日には、それこそ営業妨害だ。　それほどのイビキを、誰よりも早くかきはじめたのだから堪らない。　「うるせー、寝られん」　「なんちゅうイビキか」　プチ奴隷達のぼやきの声あがった。　そのぼやきが弟であるマチャアキには、自分に向けられている気がしてならない。　（何で、何で俺が……）　こんなに肩身の狭い思いをしなけらばならないのだろう、と思った。　その原因を作っている当のもんじろうは、そんなマチャアキの気持ちなど、まったく知る由もなかった。　　つづく　　　

ますます勢いを増すもんじろうのイビキに、マチャアキのストレスは高まっていく。　煙草に手を伸ばし、火をつけ、大きく吸い込んだ。　マチャアキは未成年ながらも、煙草の似合う男だ。　その時だった。　それまで軽い寝息を立てていたＳイカちゃんが、「う、う、ううん、もう、うるさーい」寝言のような声を出した。　（このままではＳイカちゃんが目を醒ます。そうなると……）全員の非難の目は、すべて自分に向けられるだろう。　（くそ！）　もんじろうの寝顔に、怒りの色が浮かぶ視線を落とした。　黒々とした鼻の穴が見えた。　（この暗がりの奥底で騒音が発生しているのだ。これはイビキなどという可愛いものではない。これは……）　マチャアキにとってそれは、洞窟に潜む魑魅魍魎の咆吼であった。　　つづく

『愚怨怨怨ォォォン……』　マチャアキの脳髄に、もんじろうのイビキが襲いかかる。　呼吸に合わせ、妖しく揺れ動く鼻毛──　それはまさに魔界から解き放たれようとする、おぞましき存在──　呼吸が止まった──　あの咆吼を放つ膨大なエネルギーが蓄えられている。　この圧縮されたエネルギーの解放を許せば、必ずやＳイカちゃんは目を醒まし、全員がマチャアキに対し非難の視線を投げてくるに違いない。　（どうする……）　マチャアキは人差し指と中指で挟んだ煙草を見た。　赤黒い火種が見えた。　（邪悪なものを焼き払う地獄の業火……）　そう思った瞬間、もんじろうの喉が開く音がした。　『カッ』　（来る！）　指先に挟んだ煙草を、人差し指と親指で握りしめるた。　暗黒の洞穴に向かってマチャアキの腕が振り降ろされる。　空中でその勢いを増した煙草の火は、燃えさかる邪気降伏｛ごうふく｝の独鈷｛どっこ｝となって、鼻孔に突き刺さった。　　つづく　

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