作　やーすけ・梅太郎
ハードボイルドソーセージ小説　筑豊残侠伝【ちろりん村人間模様】　もんじろうの章〈魚釣り編〉”９”

その時だった。　「スワランカー！」　私の頭越しに、船長の大音声が響いた。　海で鍛えた船長の声帯から発した振動は、ラッパのような口から飛び出し、私の頭を飛び越え、強風の中を突き進み、鋭い矢の如くもんじろうの耳に飛び込み、外耳の耳垢をこさぎ落としながら鼓膜に達した。　鼓膜を揺るがした音波は、中耳の耳小骨で増幅され、前庭窓から内耳に入った船長のだみ声は蝸牛に伝わり、そこの感覚細胞が神経を通してもんじろうの脳内神経を刺激した。　ハッとした表情のもんじろうは、ふらふらと甲板を移動しながら、クーラーボックスを引き寄せ、ようやく腰を下ろした。　その時、船首を突き上げた波が、大きな飛沫を上げ、砕け散った。　もんじろう危機一髪であった。　　つづく　

エンジンが唸りを上げ、回頭する。　揉み上げるような不規則な揺れが船を襲う。　飛沫が強風に飛ばされ、雨のように吹き付ける。　甲板上の荷物が右に左に勢いよく移動する。　クーラーボックスに座ったもんじろうが、体を持って行かれまいと足を広げて踏ん張っている。　そんな様子を後ろから見ながら、先ほど自分自身がどれだけ危機的状態に置かれていたのか、もんじろうには理解できているのだろうかと考えてみた。　まるで遊園地の乗り物にでも乗っているように、揺れを喜んでいる姿からして、どうやら全く分かってないのだなと思った。　……少し腹が立った。　　つづく

突堤が近づくにつれ、波は穏やかな表情を見せ始めた。　風は冷たいが、日差しはシルク状の薄雲を通した程度の、柔らかく優しい光線をそこら一面に落としている。　さっきのポイントと比べると、全く違う。　別の海のようだ。　つくづく海は分からないと思う。　船のスピードが落ちた。　ポイントに着いたらしい。　船長が魚群探知機と左右の遠くの山を、代わる代わる見比べている。　ヤマダテをしているのだ。　この作業は腕の良い漁師なら、絶対欠かさない。　ヤマダテの仕方を簡単に説明する。　漁師が言うポイントとは、それぞれの漁師が長い経験上見つけた秘密の場所のことだ。　海の上に印があるわけではない。　まず、魚群探知機で海底の地形を見て、大まかな位置に船を置く。　魚は潮流がよく変化し、酸素が豊富な地形を好む。　プランクトンが大量に発生するからだ。　そのような場所は大概の場合、岩礁が広がっている。　岩礁に湧いたプランクトンをエビや小魚が狙って集まってくる。　そこに食物連鎖が始まる。　良いポイントには、かなり大型の魚が潜んでいるのだ。　　つづく　

仮に狙った岩礁が、１０メートル四方であった場合、１０メートル四方全部に、魚が群がっているわけではないらしい。　潮流など、なんらかの要因によって、偏った群れ方をしている。　その群れに仕掛けを入れると、釣果がぐんと上がるのは当たり前のことだ。　しかし、そのためには船を真上に停止させるという、高等技術が必要になる。　そこに船長の腕の違いが現れてくるわけだ。　うまく船を停止させることが出来たら、キャビンの窓など適当な目印と重なる、遠くの山や煙突を決める。　それを左右で行うと、次に来た時も同じ位置に停止することが出来る。　これがヤマダデの理屈だ。　理屈は分かっても、いざやるとなると、かなり難しい。　錨入れた後、船が流されるところまで計算して、ピタリ止めなければならないから、錨の長さと潮の流れまで見なければならない。　　つづく

そこまで神経質に、船をポイントにつける船長、魚の気持ちを独断と偏見で分かりやすく説明してくれた。　「たとえば海の底が天神の街とするやないな。　船を止める場所が渡辺通りの上と、西通りの上じゃ、人の通りが全然違うやろ？　車ばっかり通る所に糸を垂らしたっちゃ、誰も食いつかんやろもん。　なんか面白いもんないかなあ〜ち、いう顔をして歩きよる所に糸を垂らしたら、誰だっちゃ、食いつくやろが。　たった道路一つ隔てた距離でん、全然食いが違うとやき、魚達っちゃ、そげな風に考えよるクサ。　その道路を見つけるとが難しいとたい。　そいきクサ、見つけた道路は漁師同士でん、絶対教えんとバイ。　俺は大鯛をドーツキで釣り上げきるバッテン、他ん漁師はあの辺りに鯛やらおらんチ思うちょるもんな。　それには錨を入れるとも、神経を使わないかん。　そうそう最初の頃錨で、俺ぁたまらん失敗したとたい」　　つづく

「そん時ゃ、まだ自分の船を持っとらん時やった。　丁度、あんただちのごと、知り合いの漁師に乗せてもろて、釣りを覚えたとタイ。　ポイントもだいたい覚えたし、免許を取ったら船を貸しちゃるち、漁師が言いなるきクサ、俺ぁ１週間講習受けて、ようよう免許を貰うたタイ。　あげん一生懸命勉強したとは、後にも先にもあん時が初めてやったな。　俺ぁ嬉しいでクサ、すぐに子分やら仲間を連れて、船を借りたタイ。　船は木造の古いのやったバッテン、興奮したな。　俺が港から船を出して、漁師といっつも行きよったポイントに向けてドンドン飛ばしたタイ。　ドンドン飛ばしよう間、みんなが尊敬の目で見よったなぁ。　ポイントが近うなって辺りの風景やら見ながら、俺ぁゆっくり、慎重に進んでいったタイ。　魚探やら付いちょらんやったきな。　いや、付いちょったかもしれん。　バッテン、そげなんもんの使い方やら分かるもんかい。　言うちょくバッテン、そん時が俺の処女航海バイ。　例え使い方が分かったっちゃクサ、そげなん見ながら操縦できるゲナン余裕やら、俺にあるわけないやないな。　な？」　　つづく

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