作 やーすけ・梅太郎
ハードボイルドソーセージ小説 筑豊残侠伝【ちろりん村人間模様】 ムクの章”10”
| ムクの章【１】【２】【３】【４】【５】【６】【７】【８】【９】【１０】【１１】【１２】【目次】 |
ここまで話せば、いかにムクが危険な賭に出たかを、わかっていただけるだろう。 一回目負けて私のシッペをくらった時は、Eみこの視線を意識して余裕を装っていた。 ２回目負けた時は、例の「チッチッチッチッチッチッチ」の舌打ちを披露してくれた。 ３回目負けたときは、さすがに顔色が変わり腫れてきた手首を押さえていた。 ４回目負けたときは不機嫌な表情をすることで、シッペの手加減を懇願しているふうであった。もちろん手加減なし。 ５回目負けたときは再び「チッチッチッチッチッチッチ」と舌打ちをして、腫れた手首をじっと見つめていた。 こうしてムクは見事、１０連敗を喫してしまったのである。 つづく
１０回目のシッペをくらうために、ムクは虚ろな目を空中に泳がせながら、ぷっくりと愛らしい、リンゴ色に晴れ上がった手を差しだした。 意識が混濁しているらしい。 ――限界か。 ドクターストップと言おうとしたとき、「ムクちゃん、もう止めて」と声がした。 声の主はEみこだった。 眉根をやや寄せた状態で、それをニキビが一つできた額に向かって、軽く上げている。 いかにも「心配しているのよ」といった表情だ。 柔らかそうな髪と抜けるように白い肌、茶色い瞳の大きな目が印象的だ。 何世代か前に、白人の血が入っているように見える。 そういえば、Eみこがバスセンターで高校生から「ハロー」と声かけられたと言っていた。 Eみこが面食らっていると、その高校生は「通じんやったあ」と友達のいる方へ走っていったという。 そのEみこがムクの心配をしている。 私は背中が冷たくなった。 ――Eみこ、それは逆効果だ。大変なことになる。 不安は的中した。 つづく
手を差しだしたムクの表情が変わった。 虚ろな目に妖しい光が走る。 「うっ」 私は一瞬たじろいだ。 ムクの口元に不敵な笑みが浮かんでいる。 腫れ上がった手を「さあスッパリやってくんない」とでもいうように、ぐっと差しだした。 それはまるで、宗教に殉ずる敬虔な信者がときおり見せる、恍惚の表情そのものであった。 差しだした手にシッペをすると、もう片方の手をだしそうだ。 ――きっとムクはゲームをやめようとしないだろう。 そう思った私は、とどめを差すことでムクを楽にしてやろうと考えた。 これまでの技術を駆使した、私の会心のシッペが、差し出されたその手に愛のシッペが炸裂した。 「きゃっ」 「くっ」 Eみこの小さな悲鳴とムクの声が重なりあって聞こえた。 つづく
骨のきしむ音がした。 ムクの首がカクンと落ちた。 椅子に座ったままの姿勢で、動かなくなった。 その姿は真っ白に燃え尽きた、明日のジョー、最終ページの絵のようだ。 ――安らかに眠れ。 席を立とうとした私は、信じられない光景を見た。 ムクの腕がゆっくりと動いている。 その腕はまるで、腕そのものが意志を持っているかのように、ユラユラと揺れながら、少しずつ上へ上へと浮き上がっていく。 指先を見た。 人差し指が一本突き出ている。 やがて腕は頭上高々と伸び、人差し指が天を差した。 もしこれがボクシングのリング上なら、１ラウンドKO予告、居酒屋ならビールの追加注文となるだろう。 途切れたはずの意識の糸が、わずかに残っていたのか、もうワンゲームを挑んできたのだ。 私はムクの執念をそこに見た。 『Eみこに、良いとこ見せたい』 その思いがこの身体を動かしている。 恐るべし蒼き性のパワー……。 私は、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。 つづく
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