汽車は松浦辺りを通過しているらしい。　山裾が海に迫り、右手に海を望む断崖に線路が通っている。　絶景とまではいかないが、海賊松浦党の本拠地であり、ここから太閤秀吉が、朝鮮に出陣する海を覆い尽くすばかりの軍船を眺めていたのかと思うと、感慨深い。　やがて内陸部に進路を取った車内に、再び退屈な時間が戻ってきた。　「今日は、どこで降りようか？」　他に話すことが無くなったＭボチャンが、思いついたように言う。　私はこのチャンスを待っていた。　「大村にクサ、中学の同級生が転校して行ったってね。　寄ってみらん？」　「ええ？　同級生？」　「うん、同じバスケットやったとよ。　女子やけどね」　Ｍボチャンの眉根の間隔が広がり、目尻が下がった。　「一応、手紙には立ち寄るかもしれんち書いたとばってん、お前が厭ならよかよ」　「なっ、なっ、なっ……何を遠慮しよるとぉ。よかくさ、急ぐ旅じゃないとやき」　満面の笑顔とはこういう顔をいうのだろうと思った。　「大村か、大村ね」と地図を広げ、人差し指を勢いよく動かす。　Ｍボチャンが喜んだとき、ピチャピチャ舌を鳴らす癖があるのを発見したのは、この時だった。　　つづく

やはり旅には目標が必要だ。　あの無意味に感じた時間が、嘘のように活気づく。　「で、どげする？」　Mボチャンの燃える瞳が私を見た。　「とにかく電話せんといかん。いきなり行って、彼女の都合悪かったら無駄足になるやろ。　今日は大村の近くまで行って、そこから電話して、適当なところに泊まろ」　「うん、そやな。いきなりじゃ、まずいな」　その駅が何という名前なのかは知らない。　思い付きで降りたのは、小さな古びた木造の駅だった。　日はすでに傾き始め、駅周辺は家路を急ぐ人々の姿が見られた。　公衆電話を捜し、あらかじめフクシマから教えてもらっていた番号をダイヤルした。　私が旅の途中、立ち寄るかもしれないという話は、すでにフクシマの両親には了解済みだった。　愛想の良い声のお母さんに代わり、フクシマが受話器を取った。　元気の良い声が耳の穴に飛び込んできた。　懐かしかった。　その声を聞いていると、フクシマ独特のカットインからシュートしていく姿が思い浮かび、なんだか甘酸っぱい気持ちで胸が一杯になっていくのだった。　つづく

明日、大村に行くことを告げ、電話を切った。　待ち合わせ場所は、写真に写っていた大村公園。　Mボチャンと２人である事が分かると、フクシマも友達を誘ってくると言う。　その話をMボチャンにした。　顔が崩れた。　満面の笑みを浮かべ、舌鼓のような音をピチャピチャ立てながら「おま…、おま…、おまえ、いい奴やね」と喜んでくれた。　この日は駅の近くで寝ることにした。　歩き回っていると小さな雑木林があった。　林になっていれば、ポンチョの四隅を木に縛り付け、テント代わりできる。　遭難を避けるためだろう、発色の良い黄色のナイロンで出来たポンチョを広げ、地面ギリギリに傾斜を付けて固定した。　日が沈み、夕闇が近づいているとはいえ、空はまだ明るい。　雑木林にポンチョの黄色が浮き上がって見える。　暗くなるまで、近くを歩いて待った。　恥ずかしさを感じずにどこでも寝る勇気は、まだ備わっていなかった。　　つづく

翌日、大村へ移動し、約束した公園で待った。　神社の鎮守の森に桜を植えて公園にする例は、日本中いたる所にみられる。　大村でも公園として、春日神社と護国神社を桜で埋め尽くし、整備していた。　春には二重に花を付けるというこの大村桜の下で、盛大に花見が行われるのだろう。　人気のない公園の坂道で、人の気配がした。　夏の日差しを遮り、日影を作っている桜の青葉の下を、制服姿のフクシマが登ってくる。　私とMボチャンを見つけ、歩みを緩めた。　目で「そうなの？」と訊いている。　私が手を振ると、再び歩調を早め近づいてきた。　なんだかフクシマが小さくなったように感じた。　が、すぐに理由が分かった。　（そうか、俺が大きくなったんだ）　自慢ではないが私は中学入学時、身長が１３６センチしかなく、卒業時にようやく１５０センチを越えた。　それからいきなり伸び始め、この時には１７０センチに達するに至っている。　フクシマが一瞬見せた戸惑いは、私の身長の伸びだったのだ。　なんといっても最後にフクシマと会った時は、フクシマの方が１０センチは高かったのだから。　　つづく

Mボチャンを紹介した。　すぐに打ち解けた雰囲気になったのは、Mボチャンが放つ『オモシロパワー』とでもいうようなオーラのせいであろう。　この時からずっと後になるが、やがて強力なパワーを放つようになったこのオーラを、チョウチンアンコウのように明滅させて女の子に好奇心を抱かせ、その面白さで乙女心を惹き付けて自分の部屋へ誘う、特技ともいえるワザを編みだした。　無垢な女の子が持ちやすい「面白い人に悪い人はいない」という錯覚を、最大限に活かした見事な作戦であった。　これには男達全員が舌を巻いた。　「面白い面白い」と喜び、Mボチャンの部屋へ遊びに行く女の子達の姿が、提灯に吊られてフラフラとアンコウの口の中に入っていく、哀れな小魚を連想させるところから、Mボチャンは『アンコウMボ』のコードネームで呼ばれるようになった。　フクシマは私達を自宅へ案内した。　家にはお母さんとフクシマの同級生が待っていた。　初対面という条件は、私とMボチャンとでは、まったく同じという状態になった。　　つづく

人見知りというほどではないが、私は初対面の人との会話は、非常に不得手であることを告白しなければならない。　何を話して良いのか、皆目見当が付かないのだ。　昔から口が重いと言われ続けた事が、高校になって演劇部に入部する動機のひとつになったことも、ここに言っておこう。　この時も緊張で頭の中が白くなり、何をどうして良いのか分からず、言われたままの行動を取る。　私のサブザックと、Mボチャンのサンドバック状のスポーツバックはキッチンに置かれた。　２階のフクシマの部屋へ案内された。　同級生が紹介されたが、日焼けした健康そうな子という以外特徴のない顔で、名前も覚えていない。　ただ夕日が窓の外で輝き、彼女の姿が逆光気味だった情景が記憶ある。　Mボチャンのオーラは放射され続け、和んだ場になったが、私は参加していない。　取り留めもない話の途中、階下でお母さんの声がした。　フクシマがドアを開けると、「ご飯が出来たから降りてらっしゃい」と声が飛び込んできた。　　　つづく