翼をもぎ取られ、天国から地上へ落ちてしまったアンドン──　そのピュアな魂さえも失ってしまったアンドンは、まさに堕天使であった。　今のアンドンにとって、単調な大学生生活は地獄のようなものだった。　あれほど単位獲得に燃えていた自分が、嘘のようだ。　毎日、大学に顔を出しては、すぐに近くの雀荘へと足を運び、卓を囲む。　もともと麻雀の腕前は玄人裸足だ。　大学生になって麻雀を始めたばかりの者が多いなか、千切っては投げ、　千切っては投げの大暴れで、向かうところ敵なしであった。　学生だからと甘く見て「にーちゃん、一人足らんとたい。かたらんね。ピンばってん、よかね」と、誘う社会人にも怯む事なく、『ダイサンゲン、ツーイーソー、スーアンコウ』という三倍役満をぶちかます。　まさに鬼神の如き暴れ方であった。　　つづく

年が明けた。　英彦山は、下界では考えられないほどに雪深い。　そして、一度積もった雪は根雪になり、ここが同じ九州かと思えるほどに降り積もり、いつまでも解けることなく残雪となる。　そうなると、まさに冬ごもり状態になり、家から出ることができなくなる。　アンドンの住む添田が、英彦山の麓に位置することは先に述べた。　麓とはいえ、やはり雪の降り方は半端ではない。　そして雪が降る季節といえば、大学ではどこも後期の試験の最中である。　その時期になっても、アンドンの心は晴れない。　ときおり傷口から血を垂らし、シクシクと疼く心……　マユミから受けた傷が、まだ癒えきらずにいたのだ。　　つづく　

前夜から降り出した雪が、飯塚でも珍しく積雪を記録した。　この日は前期の試験でアンドンが、疑惑の満点を取った数学だった。　単位獲得まであと２０点。　白紙で出しさえしなければ、鼻をほじりながらでも間違いなく取れる単位であった。　早朝に銀世界を見せていた積雪は、午前中に消えた。　大学でもまさかこの雪が、試験に差し障りがある者を出しているなどとは、微塵にも考えなかったようだ。　試験は教授の出血大サービスなのだろうか、例年通りの試験内容で「どうぞ単位を取って、立派な３年生になってください」と言わんばかりの問題だった。　やがて試験が終わった。　アンドンが来ていないことにようやく皆が気づくのは、この緊張がほぐれた後であった。　　つづく　　

『アンドン、後期試験を放棄──』　この一報が、前期後期の過酷な試験を、共に戦ってきた友の間に駆けめぐった。　今日の試験を受けなかったということは、自動的に留年が確定する。　「あいつ、どういうつもりかのう……」　門司から大学に通う、私達が『玄海の竜』とあだ名を付けている、痩せぎすの男が独りごちた。　「ありゃ、莫迦じゃもん。忘れとるとじゃなかとかぁ？」　やたらアダルトという言葉を連発する、早熟の男『久留米のボルサリーノ』が、いつもの戯けた口ぶりで軽い笑いを取った。　わずかな沈黙──　（もしかしたら、そうかもしれん）という考えが、そこにいた全員の頭に浮かんだことは、その表情からうかがい知れた。　かく言う私も、──あり得る　──それも、かなり確度の高い推測だと、思った。　　つづく　　

「男はアダルトできめんといかんとじゃ。そのためには、スーツが必要じゃ。それもダブルね。狙うはスナックのオネエちゃんに決まりじゃ。素人女に手を出すんは、高校時代で終わりじゃ。アダルトになるには、それじゃだめなとじゃ。金も持んで、飲み屋街を見物して回りよる、ズンボケ学生と同じに見られたら、もう仕舞いじゃもん」　久留米のボルサリーノは、まだ皮の剥けきれない男達を前に、よく熱弁をふるっていた。　そしてひとつひとつの単語が、キラキラと輝きを放つボルサリーノの話に、食い入るように聞き入る男達の中にアンドンも混じっていたのだ。　そのボルサリーノが「今度、唄を作ったんじゃ」と披露してくれたのは寮歌のような唄だった。　『大学キンキーの　ぉ　学生ぃ　さんわぁ　銭もぉ　持たずにぃ　吉原ぁ　ぁ　町えぇ　　吉原ぁ　町ぃ　のぉ　ぉ　学生さんわぁ……』　　つづく

７番か８番まである、本気で作った会心の力作だ。　その歌詞を大きな紙に書き、壁に貼り付けて、部屋に遊びに来る、性文化の研究者達に歌わせるていた。　経験に裏付けられたボルサリーノの話は、実に面白い。　そのウィットの効いた猥談を訊きに来る男達は、この唄を歌いながらボルサリーノワールドにどっぷりと浸かったのである。　アンドンが彼女が欲しいと言い出した遠因には、ボルサリーノの影響が考えられた。　それはアンドンが、ボルサリーノ性文化研究室の優秀な受講生であったからである。　ボルサリーノが注ぎ込む煌びやかな性情報は、それまで貧弱だった性知識に厚みを加え、それがアンドンの性への憧れを、日に日に増大していったといえるのだった。　　つづく