警察犬の訓練士である親切なおじさんは、思いを遂げることが出来ないまま、早朝訓練のためにアパートを出ていった。　「すぐに帰ってくるから」と言い残していったところをみると、まだ諦めてはいないらしい。　「逃げよう」　Ｍボチャンと友達は、荷物を手に部屋を出ようとした。　その時、キッチンで低く唸りを上げる冷蔵庫に気が付いた。　「ちょっと待て」　冷蔵庫のドアを開けると、結構食べ物が詰まっていた。　「これ、もろうて行こう」　２人はリュックに詰められるだけ詰め込むと、急いで部屋を後にした。　清らかだったＭボチャンの躰を、最初に弄んだのが女性ではなく、親切なおじさんであった事実は、生涯忘れることが出来ないであろう。　だが、食べ物が沢山手に入ったことで、多少の気の慰みにはなったという。　「ジャマイカ・Ｍボチャン」は気を取り直し、沖縄へと渡った。　チャンプルとチャンポンが別物である事を知ったのは、現地でのことだったらしく、その新鮮な驚きで、ようやくおじさんの熱い吐息を忘れることが出来たのであった。　　つづく

冒険に危険は付き物とはいえ、Ｍボチャンの図々しいともいえる、この無防備さはどうだ。　初対面のおじさんについていき、おじさん好みのコスチュームを身につけ、その隣で熟睡する──　この行動を考えてみれば、ナンパされて簡単についていく、警戒心も何もない尻軽女と大差ない気がするのだが、いかがだろうか？　こうしたことを考え合わせて見ると、始めて訪れた、しかもＭボチャンとは同級生でもなんでもないフクシマの家で、勧められれば勧められるままに布団に入ったであろうことは、容易に想像が付く。　ついでにもう１つ、思う浮かぶ出来事を話したい。　　つづく

これは随分と後の話になるが、高校卒業して２０年ばかし経った頃、店に一本の電話がかかってきた。　高校の同級生からだ。　「おう、久しぶり。店が終わって？　いいよ、オカンの店ね。じゃ、後で」と受話器を置いた。　小料理屋をやっているオカンはバスケット仲間で、中学の時にもフクシマと一緒に練習した間柄だ。　電話の主は女子バスケット部員だった女性で、高校では同じクラスだった。　中学のバスケット仲間のほとんどが、そのまま同じ高校に進学したため、気安い関係が続いているのだ。　受話器を置いて顔を上げた時、それまで漫画本に没頭していたＭボチャンが頭を上げ、ネットリとした視線を向けてきた。　楽しそうな話を嗅ぎつける嗅覚は、警察犬並みだ。　「誰？」　「誰だっちゃよかやんか」　この私の返事が、Ｍボチャンに（絶対、女バイ）という確信を与えてしまった。　「誰か！？　誰か！？」　女の気配を嗅ぎつけると、途端にドーベルマンのごとく食らい付いて離さない。　「頼むちゃ、誰なんか？　教えちゃってん」　この状態になった時のしつこさは、天下一品だ。　味わってみなければ分からない。　根負けして「同級生たい」とぞんざいに答えると「女か？　女やろ。怪しい関係か？　ね？　ね？　ねちゃ」と来るのだ。　　つづく

「ただの同級生たい」　「なんか？　高校のか？　俺が知っとる女か？　ね？　ねちゃ」　「たぶん知らんと思うぞ」　「俺んこと、知らんやろか？」　「さあ、どうかの？　知っとるかもしれんなあ」　「そうやろか。　知っとるやろか。　そしたら俺も見たことあるかもしれんね」　「まあ、どこかで見たやろうね」　「そうか、そうやね。そうかもしれんね」　話を適当なところで切り上げ、店を閉め、オカンの店へ行かねばならない。　「閉めるぞ」　私は宣言し、後片づけを急いだ。　「これはこっちでよか？　これはここやったね」と店内をウロウロしながらＭボチャンが手伝おうとしている。　いままで手伝ったことなど皆無であるのにだ。　（こやつ、人の同級生の集まりに付いてくるつもるか？）　まさかとは思ったが、Ｍボチャンなら考えられなくはない。　陽水の歌声が脳裏に浮かんだ。　”楽しいことなら何でもやりたい　笑える場所ならどこへでも行く……”　この歌が、そのまんま座右の銘のＭボチャンだ。　やりかねない。　　つづく

シャッターを下ろすと私は、足早にオカンの店へと向かった。　それはＭボチャンが、後を付いてくる事への拒否の意味である。　普通の感覚からすれば、他人の同窓生の集まりに付いていこうとは思わないだろうし、たとえそう思ったとしても、これだけ足早に歩かれれば、その真意は理解できるはずだ。　だが、Ｍボチャンには遠慮するという発想が浮かばないらしい。　息を切らしながら私の横に張り付き、「どこに行きよるとか？　ねえ、なんちゅう店で待ちょるんか？　ちょっと早くないか？　この歩き方」と、ちゃっかり付いて来るではないか。　「もう、付いてくるなちゃ。だたの同級生たい」　「ホントか？　いや、怪しい。違うっちゃろ？　ホントは同級生とかじゃないで、若い女が待っちょるとやろが」　「本当に同級生ちゃ。他人の同級生に会うて何が嬉しいとか」　「会わせられんちゅうことが、怪しいやんか」　「そしたら付いて来りゃよかたい」　「よかとか？　もう最初からそう言え」　しつこくされると投げやりになる癖が、私にある。　それを上手く利用され、一事が万事、こうやってＭボチャンのペースになっていくのだ。　　つづく

カウンターだけという、小さな小料理屋の店内。　オカンとカウンターを挟んで、２人の女性が座っていた。　高校で同じクラスだった２人は、色恋抜きの気の知れた女友達だ。　私が店内に足を踏み入れると、全員が同窓生特有の無防備な笑い顔で迎えてくれた。　そして、私の後ろからひょっこり顔を出し、「ヨッ」と片手拝みをしたＭボチャンを見つけると、それまでの笑い顔に驚きの表情が加わった。　「Ｍボ君やん。なんで？　なんでＭボ君が来ると？」　彼女達はＭボチャンのことを、ちゃんと覚えていた。　それほどに高校時代のＭボチャンは人目を引いた。　というか、目立とう精神が旺盛だったのだ。　　　つづく

どれくらい目立っていたか──　こういうことがあった。　私達の高校時代はそれまでの重厚長大から、軽薄短小へと時代の指向が移り変わっていく最中であった。　とはいえ、まだまだバンカラ色の濃い行事が残っていて、その１つにファイアー・ストームという野性味溢れた行事があった。　体育祭の後、３年生の男子だけが学校に残り、夜になるまでに下級生と女子を閉め出すのだ。　運動場には材木が高々と積み上げられ、点火の瞬間を待っている。　頃合い良しとの合図で、点火。　と同時に短パンに上半身裸のまま、全員が体育館に雪崩れ込む。　壇上では応援団の太鼓が連打され、雄々しい空気が空間に満ち、この瞬間、純化された男達の野生の血が、一斉に沸騰し始めるのであった。　　つづく