『桜のもとに　春しらむ　故人のうらみ抱きつつ　若き血潮のうま酒に　酔わんとすれど　すべもなし』　KH高校第一期生徒会長が詠ったという伝統の歌を、応援団の大太鼓に合わせて声を張り上げる。　場内が熱気で満ち、独特の興奮状態が頂点に達し始めた時、応援団長を先頭に、大柄の筋肉が盛り上がったふんどし姿の男が一人、また一人と太鼓の連打に会わせて壇上へ駈け上る。　そのたびに上がる、場内全員の「ウオー」という雄叫びが、窓を揺るがす。　いよいよファイヤー・ストームが始まるのだ。　ファイヤー・ストームは大きな火柱の回りを、東京農大の大根踊りのような格好で、歌い踊りながらグルグルと回るだけの原始的なもので、先生達も漢詩を大声で張り上げたりするのだ。　やがて佳境にはいると先生を担ぎ上げて、プールに投げ込んでお終いという、馬鹿馬鹿しいばかりにシンプルな行事なのである。　　　つづく

ふんどしは恰幅がいいほど様になる。　引き締まった躰の男達が壇上めがけ、勢いよく駆け上がる姿は、その気がない者でも興奮してくる何かがある。　その興奮を、一気にお笑いに変えたのがMボチャンだ。　Mボチャンが水色のふんどし姿で勢いよく壇上に駆け上がると、それまでの「ウオー」という雄叫びが「ウワハハハハハ……」という爆笑の声になった。　痩せて小柄な裸体に見事なO脚のMボチャンが、巨漢の中に混じった。　それは「捕らわれた宇宙人」か「毛を剃られたチンパンジー」という光景であった。　勇壮な雰囲気で始まるはずのファイヤー・ストームであったが、全員笑いながら、火柱の上がる運動場へと駆け出して行くはめになったのである。　これが有名人のMボチャンでなければ、ここまでの受けはなかったであろう。　受けを狙っての、ふんどし姿であったのかどうかは知らないが──　　つづく

Mボチャンの知名度の度合いは、この事例ひとつ取っても分かっていただけると思う。　さて、オカンの店で再会した私の同窓生にとって、クラスは違っているとはいえMボチャンも同窓生だ。　最初こそバスケットの話などに花が咲いたが、いつのまにかMボチャンが話の中心に割り込んできた。　とにかく女に受ける話は何でもするという心構えなので、放っておけば４時間でも５時間でも喋りまくる。　話が途切れると、ひとつ覚えのタバコを使った手品で場を持たせ、その間に別の話題を捜す。　つねに女の注意を惹き付けておかねば、気が済まないのだ。　そのため人の話を訊く方が性に合っている私は、大概の場合、蚊帳の外となるのであった。　　つづく

だが、この時の彼女らはすでに大人であったから、笑い話だけではなく、深みのある話も好んだので、Mボチャンの独断場ということにはならなかった。　実を言うと、会話に長けたMボチャンにも弱点はあった。　論理的な難しい話が苦手なのだ。　形而上的な会話が出始めると「お前達、難しい話やらするなちゃ」と、話の腰を折りにかかる。　そのため若い男達は、真剣な悩み事を話す時にはMボチャン抜きで、と暗黙の内に了解し合っているのである。　そういうことであるから、大人の話と笑い話が交互に出てきて、最後までMボチャンは自分のペースを掴む事ができなかったのだ。　あっという間に時間は過ぎて「さあ、帰ろうか」となったとき、Mボチャンが驚きのワザを出した。　　つづく

「家はどこなん？」　（出たー！）ワンパターンながらも、不滅の言葉──　だがよく考えて欲しい。　彼女達は私の同級生で、私が呼び出されたのであり、Ｍボチャンは無理矢理付いてきただけの存在なのだ。　普通の神経ならば遠慮して、絶対に口には出さない言葉だろう。　しかし、クラスは違えど高校の同級生という気安さからか、彼女らは「庄内」と簡単に答えた。　この答えさえ引き出せば、後はこう言えばいいのだ。　「なあん、方向が同じやん。送るバイ」　この王道ともいえる手法でＭボチャンは、２人を車に乗せ、送っていった。　一人残された私は、心底こう思った。　一度獲物の嗅ぎつけたら、どこまでもしつこく追い、食らいつく……　まさに死肉に群がるハイエナだと。　　つづく

フクシマ家の玄関を出ると、日はとっぷりと暮れ、住宅街の窓から零れた灯りが、道路を浮かび上がらせている。　Ｍボチャンと肩を並べ、歩きながら考えた。　（泊まりたかったろうなあ、Ｍボチャン。それにしても、どうしたら初対面のフクシマと、あんなにリラックスした会話ができるのだろう。　百歩譲って、フクシマは同じ年であるから気安く話せるのは、まあ理解はできる。　しかし、フクシマ家の団らんに、即、違和感なく溶け込めるＭボチャンの特技には、正直驚かされた。　自分にはないものだ）　この日以後、私はＭボチャンの特技の秘密を暴き、自分のものにしようと試みるようになった。　だが、つねに意外な行動に出るＭボチャンの頭脳には、他者を理解不能に陥れるトリップが無数に組み込まれていた。　　　つづく

ただこの時点では、Ｍボチャンを分析するほどのデーターはなく、彼の複雑怪奇な行動パターンは、新鮮な輝きを持って感じられていた。　彼の行動に驚かされるようになるのは、もっとずっと後のことである。　私達は昼間、フクシマと待ち合わせた公園へと向かった。　公園にはベンチが沢山あり、その下に潜り込めば、たとえば地元のワルなどの外敵から身を守ることが出来るし、朝露などで躰を濡らすこともないし、だいいち、人目に止まる確率がかなり低くなる。　そこが、まだ完全に羞恥心を捨てきれないＭボチャンと私にとって魅力的な所であった。　　つづく