──共通の願望──　それは当然、この生真面目な少林寺拳法部の男の願望でもあった。　この男がどれくらい生真面目であるか……　学生食堂で目撃した、ある出来事をあげれば分かると思う。　大学に入って１年目の夏だった。　我々数人に混じって学生服姿のこの男も、雑談しながら学生食堂へ入った。　少林寺拳法部は学生服を着なければならないらしく、夏だというのにツメ襟までぴっちりと止めている。　食券を買い、カウンターで渡されたうどんだったか、カレーだったかをトレーに乗せ、横並びで歩き、一緒のテーブルに座ろうとした時だった。　いきなりこの男がトレーから手を離し、床に落としたのだ。　ガッシャーンと派手な音が響き、中の物が一面に飛び散った。　驚いた我々は、この男の顔を見た。　男は遠くの一点を凝視し、顔を強ばらせていた。　そして右手で拳を作り、左手は開き、その両方を鼻の前で合わせ、直立不動の姿勢を取っているのだ。　　つづく　　

「オスッ！」　男は視線の方向に向かって、野太い声を上げた。　「押忍」と書いた方が、男の置かれた状況が分かりやすい。　空手や少林寺などで使われる、目上の人に対する挨拶だ。　男が視線を向けたそこに、たまたま少林寺拳法部の先輩が立っていた。　それで挨拶したのは分かるが、昼飯を投げ捨てなければならないほど、切迫した事態とはとても思えない。　私ならば、横のテーブルにトレーを置いて、それから「押忍」をすると思う。　挨拶された方の先輩も、決まり悪そうに片手で挨拶しただけだった。　昼飯を台無しにした男は、我々の横に座り、「挨拶は気持ちが大切じゃけん」と残ったうどんの汁を啜っていた。　何ともコメントのしようがない私は「そんなもんかのう」と、否定とも肯定とも取れる言葉を、口の中で転がした。　（なんか、一生懸命な奴……）　この男の滑稽なほどの生真面目さに驚いたというのが、この時の正直な感想だった。　　つづく　

こんな生真面目な男が、ついに婚前交渉を決断した。　場所やシチュエーションなどの詳細は分からない。　はっきりしているのは、それが失敗に終わったことだ。　なぜ失敗したのか、それはパンツを脱いだ瞬間に擦れて果てたなどと、可愛らしいものではなく、彼女がボディースーツを着込んできていたからだ。　ボルサリーノの部屋にたむろしていたアンドンと私は、憔悴しきったこの男が救いを求め、ボルサリーノの部屋のドアを叩いたときに、ちょうど居合わせた。　男は「ボディースーツて、知っとるかい？」と唐突に訊いてきた。　「ああ、知とるぜ」　「あれの脱がせ方、教えちくり」　訊けばボディースーツを前に、１時間悪戦苦闘し、ついに我々共通の願望であるところの行為を、叶えることが出来なかったという。　いよいよ最後の一枚という場面になって、その一枚が邪魔をするという残酷さ。　私にはこの男の苛立たしい気持ちが、痛いほど理解できた。　それはちょうど、溶けかけたチョコレートに銀紙が張り付き、どうやっても剥がれない状態に似ていよう。　　つづく

快諾したボルサリーノは、まず、ボディースーツの構造について講義を始めた。　少林寺の男と、私と、そしてアンドンがひと塊りになって座った。　その前の椅子に腰掛けたボルサリーノは、一段高い視線の位置から、手振り身振りで説明をする。　「ボディースーツはやん」とボルサリーノは言う。　「ハクんやないとやん。キルとやん」　「ハクやないで、キル？」　アンドンが思わずオウム返しした。　それはアンドンだけの驚きではなく、私と少林寺の男も同じであった。　私の感覚でいえば、ボディースーツなるものは下着だと思っていた。　下着はハク物というのが、これまで積み上げてきた、若干、二十歳の私の概念であった。　　つづく　

ボルサリーノからは下着について、様々な知識を授けてもらった。　特にブラジャーの構造と、雰囲気を壊さないホックの外し方などだ。　「こげんやって、女の背中に腕を回してキスば、するじゃろが。　このときに意識は指先のホックにいっとかんば、いかんとじゃ。　ベロば入れるとに、一生懸命になるようじゃ、アダルトにはなれんとじゃ。　アダルトもこなれてくるとじゃ、キスで女をクラリさせた瞬間に、ブラジャーのホックを人差し指で摘み、親指と中指で挟んで外しとかにゃならんとじゃ。　オリはやん、その瞬間に後悔せんでんよかごつ、いっつも鍛錬ば怠らん。　それがアダルトへの道なんじゃぁ。　フロントホックかい？　それは背後から揉みし抱くようにやん、こうやって優しく絞り上げ、両手の指先で挟んで、チョイとずらすと自然に外れるとじゃね」　──という感じで、かなり指先を鍛える講義が多かった。　内容には即戦力があり、その後の私の人生で、かなり役立ったと思う。　だが、ボディースーツの場合に於いては勝手が違った。　　つづく