作　やーすけ・梅太郎
ハードボイルドソーセージ小説　筑豊残侠伝【ちろりん村人間模様】　もんじろうの章〈魚釣り編〉”１５”

その日、勇んで出かけたヨーイチローに大切なことを、私は言い忘れていた。　酔い止めの薬のことだ。　玄界灘の荒波にあれだけ揉まれながらも、津屋崎のボートでさえダウンし、ヨーイチローに多大なる迷惑を掛けたもんじろうが船酔いしなかったのは、１時間前に薬を飲ませていたからなのだ。　だが私はヨーイチローという男の潜在能力を知っている。　「大丈夫だ！」　たぶん……。　だがそれは買い被りであった。　船長の話によると、玄界灘に出た途端ハワイアンソングでも歌うように「オエー」を連発し、そのまま二時間、デッキの上で横になったまま動けなくなったという。　「あんたクサ、あの兄ちゃんな、まだ帰らんとですか、まだ帰らんとですかち言うて死にそうになっちょったバイ。　今のヤングは貧弱やなあ。　あげなんとをモヤシちいうとやろ？」　　　つづく

船長にとって船酔いするような男は、モヤシなのだ。　日頃から世の中がひっくり返るよな、非常事態が起きても、生き残る自信があると豪語する船長──。　「俺はくさ、ナイフと荒縄があったら、なーんもない山ん中でん、１週間は何の不自由なく暮らしきるバイ。　あ？　荒縄でなんするとちな？　荒縄があったら、火種にしちょかれるやろが。　火だけは絶対必要やきな。　他にも色々使えて便利なとタイ。　食える物と食えん物の区別ができりゃ、山ん中でん結構生きていかるるもんやが。　まあ、あんた達にゃ、無理やろうバッテンね。　すぐ死んでしまうやろうな」　さすがに何でも極めなくては気の済まない船長──　食えると思える物は、どんな物でも食うということも、勿論極めている。　　つづく

どんな物でも食べ、生き残ることに情熱を燃やす船長の傍に近寄って、命を落とした生き物達……　その生き物の中でも、その危険度が高い生き物とはいかなる生物であろうか。　まず庭に飛んできた雀や、傍に寄ってきた鳩などがその餌食になる。　さらにはブラックバスを釣った時など、ムニエルにして人に食べさせ、安全を確認してその後の参考にする精神力も持ち合わせている。　結局、そののちに釣ったブラックバスは食べなかったというが……。　それほどにサバイバーとしての経験を積んだ船長にしてみれば、我々のように都市生活が染みついた人間など、軟弱な存在にしか見えないことだろう。　ましてや船に乗ってすぐに船酔いで倒れたヨーイチローに至っては、モヤシと罵ってもまだ余りあるくらいなのだ　　つづく。　　

半死半生の状態のまま、港に入った船のデッキの上で、ヨーイチローは思い知っていた。　もんじろうという男の、得体の知れぬ怪物のような強運の力を……。　最初はどんなに人の手を煩わせていようと、最終的には必ずといっていいほど、うまいように事がなっている。　（それに比べ、自分はどうだ！）　そう、ヨーイチローは思っていた。　考えてみればヨーイチローの調子が良かった事といえば、津屋崎で船酔いしなかった事ぐらいだ。　そしてあの時、一度としてまともな釣りをしていないもんじろうに、終わってみれば釣果で負けていた。　──ただ寝ていた男にだ。　そして今回、ヨーイチローの心の中にあった、もんじろうに負けるはずがないという甘い予測は、完膚無きまで粉々に打ち砕かれてしまった。　それも、おしゃべり好きの船長の目の前で、さらした醜態だ。　『旅に出よう……』　のちにヨーイチローは中国へ飛ぶことを決意する。　その動機はこの瞬間に、端を発したのかもしれない。　もんじろうとヨーイチローの、二人にとっての人生のスクランブル交差点は、奇しくも船長の船ということになったわけである。　　つづく

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