そして、こうも考えた。　天井桟敷よろしく、目の前のホームレスのおじさんや、スクランブル交差点で見かけた、シンナーを吸っている泥だらけの男が、実は街頭劇の役者だって可能性もある。　その場合、それに反応して廻りをウロウロしている私は、劇中に取り込まれた観客であり役者となる。　赤の他人が集結して出来た大都会の本質とは、こうした劇的虚構が、無数に連結して成り立ったものじゃないかと考えてしまうのであった。　実際は、もっと単純なものであるのだろうが、ホームレス生活へ架かる橋を、途中まで渡った私が感じたままの意見である。　上手くは言えないが──　　つづく

約束の期間、まじめに働いた伽藍堂のバイトが終了した。　オーナーから給料の他に、心付けを貰う。　東京へ出てくる時、鈍行に乗ってエライ目にあったので、帰りは新幹線にしようと思った。　公演終了後、打ち上げの席に、劇中歌をレコード化して売り出してくれることになった、スポンサーも来ていた。　当時、そういうレコードが流行っていたのだ。　作曲は天井桟敷の役者でもある男だった。　歌と演奏は私達も一緒だ。　「レコーディングは、みんなでやろうな。そん時はまた東京に出てきてくれよ」と、作曲者は上機嫌だった。　私はなんだか、厭な気分になった。　日常化していく私の生活を、ことごとくぶち壊してきた男が吐く言葉ではないような気がした。　そう感じながらビールを胃袋に流し込んでいると、スポンサーが傍まで来て、「あの芝居のテーマは、もう古いな」などと、解説し始めたのだ。　ホームレスになりかけながらも、堪え忍んで作った芝居に、少なくとも今は解説などして欲しくはない。　脳がスパークした。　　つづく

瞬間の言葉で覚えてないが、もしかしたら劇団の未来を切り開く、鍵を握っているかも知れないスポンサーに、私は毒づいた。　鳩が豆鉄砲をくらったような表情で、私を見た。　彼は彼なりに、私達の事を考えているつもりだったのだから、本当に驚いたことだろう。　近くにいた別の劇団員達が、間に割って入り、事を納めようとした。　だが、これが逆効果だった。　彼は『このままではスポンサーとしての威厳が保てない』と判断したのではなかろうか。　「表に出ろ！」と大声を上げた。　これで部屋中の、２０人ばかりいた全員に──私は今から、この無礼な男を成敗する──と宣言した形になった。　心のどこかで──この男は、きっと、詫びを入れるはずだ──そのように計算が働いたか、──誰かが止めてくれるはずだ──と考えての行動ではなかったか。　謝らなければ、せっかくのレコーディングなどの話はすべてオジャンになるのだから、彼だけじゃなく、誰でもそう考えるのが自然だ。　　つづく

私は疲れていた。　東京という街は、結局、金がなければ居場所さえない、とんでもなく惨めな思いを強いられる場所なのだ。　「その気になれば飢え死しない」この環境が文無し冒険者を気楽な気持ちにさせ、時間と共にじわじわと人格を浸食し、ついには自分を見失う迷路に迷い込ませてしまう。　そこから抜け出す命綱は、故郷までの電車賃だ。　それさえも無くしてしまうと、どうにもならなくなる。　私はその命綱を握り締め、明日にでも迷路からの脱出を計ろうとしている。　華の東京という幻想を見ることは、もうない。　『富める男が、貧しい者の足下を見て、仁王立ちしている』　栄養不足の疲れた頭が、そう叫んでいた。　「よかたい。表に出ない」　考えることが面倒になった時、事態が最悪の方向へ動き出した。　　つづく

「よーし！」　スポンサーが意気込んで踵を返した。　当然、周りの者達が止めに入った。　が、男は階段を勢いよく下りていった。　事態がこうなった以上、私も引くわけにはいかない。　後を追うように階段を下りかけると、ウリウさんがやんわりと止めに入った。　しかし、あんな風に啖呵を切られたからには、黙っていられるわけがないことも分かっているようだった。　ウリウさんと並んで表に出た。　待っているはずの男が見えない。　代わりにタクシーが目に入った。　瞬間、状況が理解できた。　あれだけ啖呵を切った男が、今まさに逃げようとしていた。　そのまま見逃せば、事はそれで収まったかもしれない。　だが──　　　つづく

翌日の新幹線の中で、私は自問自答していた。　結局、東京で一体、何をやろうとしていたのだ。　本気でプロの世界を目指そうとしていたかといえば、そうともいえず、気に入らぬ人間には噛みつき、未来の計算も出来ない田舎の冒険者──　小さくとも、せっかくのチャンスを、タクシーの窓の隙間から繰り出したパンチで、元も子もなくしてしまう、短絡者。　事件にはならずに済んだことに、今さら、どこか胸を撫で下ろしている。　東京は私に、色々な事を教えてくれた。　車窓を飛んでゆくビル群を眺めながら、私は呟く……　あまり好きになれなかった東京──　あこがれの東京──　私の東京──　ウナセラディ東京──　さよなら東京──　　　つづく