Ｓカイクンの笑い顔を見ながら、Ｍボチャンは一抹の不安を感じた。　なぜ彼は笑っているのだ。　ここは驚くところではないか。　同級生のプラトニック・ラヴを信じていた者にとって、これらの告白は衝撃のはずだ。　しかも余裕の笑い。　もしかして──　もしかして──　「Ｓカイクンの初体験はいつ？　高校時代とかじゃ、勿論ないよね、ね」　膨らむ疑惑に耐えられず、Ｍボチャンは単刀直入に訊いた。　Ｓカイクンは爽やかな微笑みを浮かべた顔のまま、軽く答えた。　「あ？　ボク？　高校ん時ばい。　なんで？　Ｍボチャンもそうじゃないと？」　（Ｓカイクン！　お前もか！）　返す言葉が見つからずに、ただただ力無く、首を横に振るＭボチャンであった。　　　つづく

やっておけば良かった──　決断しておけばよかった──　悔やんでも、悔やんでも、二度と帰らぬ高校時代──　そう、あの時もビスケットを拾う決断ができなかったばかりに、空腹に加え、後悔の念で苦しんだ。　そして今度もまた、同じ思いをしなければならないなんて、なんと残酷な仕打ちなのだ。　この二度の経験がＭボチャンの性癖に、多大なる影響を与えることになった。　『もう真面目は止めだ！　獣でいくぞ。　同じ後悔するのなら、やらずに後悔するよりも、やった後に後悔した方がいい。　見る前に跳べ！　だ』　こうしてライトニング・マン｛軽い男｝Ｍボチャンが誕生したのである。　　つづく

１０代最後の決意によって、Ｍボチャンを有頂天にさせるだけの、有り余る収穫が与えられた。　だが彼は知らない。　絶好調の後に来る、手痛いしっぺ返しという魔界の存在を──｛ヤーの書　第３０章より｝　「俺って、こんなにもてるのかぁ〜」面白い程に群がってくる女子大生を、軽いジョークで笑わせ、Ｍボチャンは次々とピンクのハートを鷲掴みにしていった。　食いの立った魚群にサビキを入れたような、入れ食い状態が続いた。　笑いが止まらなかった。　帰らぬ高校時代の輝きを、今、謳歌しているのだとＭボチャンは思った。　事実を知った時の悔しさを帳消しにしても、さらにまだ余りあった。　まさに春の宴であった。　だがいつか、すべての主導権は自分にあると錯覚してしまった時、Ｍボチャンを痛烈な一発が襲う。　世に云う『お前達、笑いよったね！』事件が、これである。　　　つづく

ちろりん村が開店した当初、かなりな数の女子大生が来るようになっていた。　高校時代の轍を二度と踏むまいと、心に誓っていたＭボチャンは、得意のイラスト（彼はデザイナーの学校を卒業していた）を駆使して、女子大生の群れに斬り込んでいった。　バッタバッタといった状態だった。　千切っては投げ千切っては投げの表現の方がいいだろうか。　多感な年頃の女子大生達は、軽いジョークを飛ばしまくるＭボチャンに群がった。　Ｍボチャンとドライブしたり、ゲームをしたりするのに女の競争心が合わさり、人気はますますヒートアップしていった。　この世の春だった。　絶好調だった。　この時までは……　　つづく

もしもこのまま、人気者で居続けようとＭボチャンが望むのならば、やってはならないことがあった。　それは友達同士で競い合っているうら若き女子大生の中から、特定のカノジョを作ってはならない──　というものだ。　これをやってしまうと人気が下がるどころか、それまでの人気に反比例して憎しみをもたれ、あらぬ噂話まで振りまかれることになりかねない。　一夜にして身の回りの状況が一変するという、逆シンデレラ現象に見舞われることだろう。　黄色い歓声を上げながら胴上げしていて、いきなり手を引っ込めるような残酷極まりない仕打ちを受けるのだ。　生まれて初めての人気絶頂、有頂天のＭボチャンは「これだけ一杯集まって来よるとやから、この中の一人と付き合っても、他の子は順番待ちしてくれるクサ」と高をくくった。　　　つづく

『蜘蛛の子を散らす』という比喩がある。　卵を抱えた蜘蛛を新聞紙なんかで叩くと、その衝撃で卵が孵り、四方八方に無数の赤ちゃん蜘蛛が散っていく。　日頃、悲鳴なんか上げたことがない男でも、「ウワー！」と野太い声を上げてしまうぐらいだ。　『蜘蛛の子を散らす』とは、それほど精神的ショックが大きい現象なのである。　この比喩がピッタリとくる事態に、Ｍボチャンは遭遇してしまう。　イチゴが沢山飾ってあるケーキから、たった１つのイチゴを摘んで口に入れた瞬間、Ｍボチャンの周りが一変した。　あんなに群がっていた女子大生が、パーっと散ってしまったのだ。　まさに蜘蛛の子を散らすように、可愛らしい女子大生が近寄らなくなり、見向きもしなくなったのである。　端で見ている者にとっても、超自然現象を目の当たりにしている気分だった。　摘んだ小さなイチゴを口に入れたまま、呆然と立ち尽くすＭボチャンに、更なる衝撃が待ち受ける。　　つづく

綺麗なバラには刺がある。　旨いフグには毒がある。　Ｍボチャンが口に含んだ、美味しそうな一粒のイチゴは、真っ赤に熟れた毒イチゴであった。　群がり来る女子大生の中から彼女を選んだＭボチャンは、自分がイニシアチブを取っていると思っていた。　愚かにも心のどこかで、（付き合ってやっているんだ）と思い上がっていたのだ。　だが、女心とは複雑に変化するものである。　『この女は俺のもんだ』と油断し、横柄な態度に出られると、それまで燃え上がっていた恋の熱が、いきなり氷点下まで下降する。　ましてや大勢の女子大生の中でも、ひときわ可愛らしい彼女には、他の男からのアプローチは事欠かないのだから、恋心がブランコのように揺れ、万華鏡のようにくるくると動くのは致し方あるまい。　　　つづく